無人の東京を撮った写真家・中野正貴が”東京三部作”写真展と半生を語る

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1964年、東京オリンピックを境にして劇的な変化を遂げた街”東京”。高度成長期からバブル崩壊を経て、今や1,300万人を超える大都市となったこの街を独自の視点で30年余追い続けた男がいる。誰もいない瞬間の東京を撮りつづけた『TOKYO NOBODY』で、2001年に日本写真協会賞新人賞を受賞し、2005年には『東京窓景』で第30回木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家の中野正貴である。

そんな同氏には冒頭で述べた2作品のほかに、川を漂い水上を浮遊する都市像を捉えた『TOKYO FLOAT』という作品もあり、これら東京三部作を一同に集めたフォトエキシビジョンが先日発表(開催期間:2019年11月23日~2020年1月26日)された。今回は、一見コワモテで無口にも見られるが、実はシャイで饒舌家という中野氏の素顔に迫るべくロングインタビューをお届け。

なお、此度の写真展ではクラウドファンティングが行われており、12月8日(日)には映画『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』で有名なリリーフランキー氏との対談も決まっている。

 

– 生い立ちから伺います。実は生まれは東京ではなく福岡なんですよね?

ええ、そうですね。ただ福岡に居たといっても1歳までの話で・・・、新丸子に一瞬いてそのあと代官山に移り住んでいたからね、福岡の記憶って全くないんですよ。当時の代官山ってまだ防空壕跡があったり、国鉄スワローズの金田正一投手なんかも近くで野球していたりと、今からはまったく想像もつかないところでしたよ。その後も住居は転々とはしてたんだけど、ずっと東京でしたね。

– そこからフォトグラファーを目指されたきっかけは何だったのでしょうか?

横尾忠則さんがとても面白い広告を作っていて。それを見た時になんというか・・・こんな面白いものって作れるんだって学生心に衝撃を受けたんですよ。世はまさにイラストレーターが全盛で、それが学生時代になるとカメラマン全盛に代わっていったような時代でしたね。そもそも僕は大学でグラフィックデザイン専攻で、あわよくばデザイナーの道と考えてたんです。実はカメラに最初はまったく興味が無かった。2年の夏くらいまでは授業もさぼったりしてね、ただデザイナーになるためにはカメラの勉強は必須で。あとはその時の先生がね、すごくスパルタでこっぴどく言われてばかりだったんだけど、そのできない自分が悔しくて悔しくて。そっから気持ちを変えて、やれることすべてを試して渾身の作品を見せたらね、その時に「これすごくいい」って褒めてくれたんだよ。その辺りからかなぁ、カメラに夢中になっていったんだ。

– すばらしい出会いでしたね。ではカメラマンとしてのスタートはどのようにして?

当時は美大卒がカメラマンになるっていうのは稀だったんですよ。もし美大卒がカメラマンになるなら、いったんデザイナーになってからカメラマンというのが基本筋だったんだけど、たまたま自分と同じように美大からスタートしてカメラマンになった人が僕を気に入ってくれてね。その人のアシスタントとなり諸般の事情ですぐにチーフになっちゃったんだけど、卒業したての右も左も分からない状態だったから、本来チーフというのはスタジオマンに指示を出す立場なんだけど、僕は逆でスタジオマンに聞きながらやっていて。でも、おかげでとても勉強になったなぁ。ただそれも長くは続かなかった。自分で撮りたいという欲に勝てず、結局僕はカメラマンアシスタントを9か月しただけで、そのままフリーランスのカメラマンになったんだ。かなり異質だったんじゃないかな。

– もう少し掘り下げて聞きたいのですが、具体的にどのようなプロセスから仕事を始めていったんですか?

ラフォーレの向かいくらいにセントラルアパートっていう当時色んなカメラマンの憧れの聖地があってね、そのエレベーターで1学年上の先輩にばったり会って「仕事しない?」っていうのが最初だね。それが角川文庫の『野生時代』に載って。僕『TOKYO NOBODY』とかのイメージが強いから風景カメラマンと思われてるんだけど、最初は広告をやってたんだよ。昔は制作に関わる人間が少なかったからね。好き勝手できたし、企業もカメラマンに任せてくれるスタイルだったから、自分たちで考えてやれる広告が本当に楽しかったんだ。

 

– なぜ誰もいない東京の『TOKYO NOBODY』を撮ろうと?

人間って自分が考えたことがないものを提示されても「そうなんだ」ってなるだけなんだよね。逆にさ、考えたことはあるけどやってないことを提示されると「やられたな」っていう感覚になるんだよね。それがまさにTOKYO NOBODYで。それと広告の仕事への多少のフラストレーションも出てきていた時だったから、自分の写真集を作りたいって思うようになっていった。でも1番は自分が単純に無人の東京っていうのを見てみたかったんだ。

– 率直な質問ですが、いつ誰もいない風景って撮れるものなんでしょうか?

僕が使っているのは8×10っていうカメラなんだけど、それを担いで正月とかに撮ってたね。僕は東京育ちだけど周りは東京へ出てきていた人間ばかりだったからね。1人でやることもないから(笑)。

 

– 『TOKYO NOBODY』から窓景、水景と至った理由は?

首都高で渋滞中に周りを見渡したときに、向こうのビルからおじさんが見ていたのが視界に入ったんだけど、その時に向こうから見たらどんな光景なんだろうって思ったことかな。僕はいつも首都高で何か考えるんだよね。

– 誰もいない東京を撮ると必然と無機質な感じが現れると思うのですが、中野さんの写真からはむしろ温かみやノスタルジーな感覚さえ覚えます。それはなぜでしょうか?

僕も最初そう思ってたよ。冷たい感じというかね。でも撮ってみてわかったんだけど、街にはそれぞれ建物を作った人の思いっていうか、そういうのがにじみ出ているんだ。そういった意味では現代はビルそのものの個性が失われてしまっているのもあって、今同じ写真に挑戦しても多分撮れないだろうね。

– 次回作の構想はありますか?ヒントでも構いませんので教えていただけますか?

あんまり言っちゃうと真似されちゃうからね、ヒントならいいですよ。そうだね、”乗り物”とだけ言っておこうかな(笑)。

 

Image Credit
(c)Masataka Nakano